2009年6月28日 議論とへ理屈 ローマ 3章1〜8節
「幼子のようでなければ天国に行けない」と主は言われた。ところが人間はいろいろと理屈を並べ反抗しようとする。
パウロは律法と信仰について論じた後、ユダヤ人の反論に応答することになる。
1、ユダヤ人にはよいところはないのか(1)
律法や割礼は意味がないのか。パウロは明確に律法は人を救えない、肉体の割礼より心の割礼だ。
ではユダヤ人の存在意義はないのか。いいえ、神のことばが委ねられたユダヤ人は大いに意味がある。
2、ユダヤ人の不真実は神の真実を無にするのか(3)
神によって選ばれたユダヤ人が不真実なら、選んだ神も不真実ではないか。そんなことはない。交通法規は
破った人が罪で、法規が罪なのではない。十戒をくださった神が不真実なのではなく、十戒に従わない人が
不真実なのだ。パウロはいかなることがあっても神は真実であると説いた(4)。
3、怒りを示す神は不正か。(5) 神は人を裁けるのか。
律法によって不義があらわにされる。それに従って裁きが行われる。神は不義なる者に怒りを覚え、裁きを
なさる。怒りをもつ神も不義ではないのか。パウロは神はいかなる時にも義なるお方で、裁きを公正になさる
お方であると主張する。
心をかたくなにせず(詩篇95:8)、幼子のように十字架のイエスを救い主として心に迎えよう。