2008年2月3日 神にふさわしく歩め 姫井師 1テサロニケ2章10〜12節
親が子に望むことは、確かに、学歴、地位、財産もあるでしょうが、自立した人生を歩んで欲しいと言うことでは
ないだろうか。それに信仰が基礎にあることを望むだろう。
パウロはテサロニケのクリスチャンに「神にふさわしく歩んでほしい」と勧めをしている。
1、敬虔に、正しく、責められるところが無いように
*敬虔とは 神を常に前に置く。神をうやまう。 これは毎日のディボーションと毎週の礼拝によって培われる。
*正しくとは 聖書に従った人生 もちろん法律的にもただしく。
*責められるところが無いとは 良心的呵責がない、非難を受けたり、不名誉でない
現在のクリスチャンのレベルは低下していないか。救われたというレベルから聖められたというレベルに至って
いるか。
2、神にふさわしく
*神とは偶像や理念の神ではない。栄光とみ国に召してくださるお方である。
*ふさわしいとは 神にとって恥じない、価値がある
そのような歩み、生活をしてほしいとパウロが願った。
3、強制ではない
教会に行くと枠にはめられそう、堅苦しいと思っている人がけっこう多い。かといって自由気ままで良いだろうか。
十字架によって買い戻されたクリスチャンの生活は、神を知らない人と同じではない。
神のあかしのために、「ふさわしく」歩んで欲しいと勧め、慰め、しかしおごそかに命じた。
神のご期待に沿いうる人生の送り方をしたい。主の恵みと憐れみを求めよう。