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2007年4月15日  締りのない生活をしないように   姫井師   2テサロニケ3章6〜9節

クリスチャンは主の恵みの中にいるため、甘えが許されるように勘違いをする。自分にとって都合のよい
信仰生活に陥りやすい。迫害の中でも主のためにいのちを捨てるという気概がないように思える。
テサロニケの人々も再臨を思って、「怠惰」な生活になっていた。
1、締りのない生活とは
 何も仕事をせず、おせっかいばかりしている。他人のパンをただで食べている。
 締りのない生活はいろいろなところに現われる。金銭、時間、服装、かたずけ、、、
 パウロはきつく「キリストの名によって命じる」と言っている。
2、パウロの模範
 @締りのない生活はしなかった
 A他人のパンをただで食べなかった
 B昼も夜も働いた
  神に仕える器だから、本来しなくてもよい仕事をして、信徒への模範を示そうとした。権利を主張するより
  義務を果たそうとした。
3、牧師の立場
 雇用関係や利害関係で成り立っているのではない。神の召しによる派遣。パウロの志を牧者は持っている。
 その使命に忠実であるように、牧師のために祈って欲しい。

信徒と牧師が主にあってひとつであるように。しっかりと組み合わされている間柄であるように。