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2006年7月30日   牧会者の思いと願い  1テサロニケ2:17−20  姫井師

親はいつでも、いつまでも子のことを気にかける。遠く離れて顔を見ることが出来なくても、心は子に向かっている。
教会の牧師、牧会者も同様。しばらく礼拝に来ていない人々のことがいつも心にかかっている。
パウロはテサロニケの人々のことが気になった。
1、顔を見たい(17節) 3:10にも同様なことを言っている。
  どうしているかな、信仰をちゃんと持ってくれているかな、教会生活をきちんとしているかな。
  一緒に集まっているかな(ヘブル10:24−25)
  信仰の破船にあっていないだろうな(1テモテ1:19)
  ほかの教えに惑わされていないだろうか(ガラテヤ1:6)

2、サタンの妨げ(18節)
  何度も会いに行こうとしたが妨げられた。これはサタンの仕業だ。天使の姿で人を惑わすのがサタンだ。
  2コリント11:13−15
  しかし自分の落ち度をサタンの所為にしてはいけない。

3、牧会者の願い(19−20節)
  再臨の日はある。霊の子らが見な、種のみ前に清い良心をもって立つことが出来るように。
  この世にあって、成功者になっても、主のみ前に出られないようでは何のための人生だったのだろうか。
  パウロにとって、主のみ前に立てる信徒は、望み、喜び、誉れ、誇りがと言っている。

牧師は、常に一緒に顔をあわせて礼拝したい、サタンの誘惑に陥らないようにした欲しい、そして最後には
主のみ前に出られるものであって欲しいと思っている。