2006年2月12日 姫井牧師 いのちは財産にあるのではない ルカ12章13−21節
人はだれでも幸せになることを願っている。しかし人によって幸せ観は違う。健康、地位、学歴を
もつことを幸せと思う人、趣味や旅に幸せ観を持つ人、仲良く生きることが幸せと思う人。まさに千差万別。
お金が幸せをもたらす、お金で何でも手に入れることが出来る、と豪語した方が、今、刑務所にいる。
1、貪欲のいましめ
遺産相続のことでイエスに「仲介者」になってもらいたいと願った人に、イエスは金持ちの農夫のたとえ話をされた。
この農夫は金持ちで、豊作で、判断力と決断力をもった人であったことがうかがえる。ところが神は彼に「愚か者」と
宣告した。
1テモテ6:6−10、ヤコブ1:14−15
ゲハジは貪欲の為にひどい病気になった。 2列王5:20−27
2、神の前に富む
株価のうごきでビクビクしている人が最近は多い。聖さ、平安、寛容、忍耐、み霊の実、これらはお金で買えない。
彼らの行き着くところは天国。天国はお金では買えない。
3、いのちは財産にあるのではない
財産、物は一時的、流動的、変動する。裁きと滅びに対してなんの力もない。
91歳の婦人がいままさに亡くなろうとしていた。医者はなぐさめようとして、「もうじき家に帰れますよ」と言った。
しかし彼女は「ええ、そうでしょう。でもどちらの家ですか」と指を天に向けて尋ねました。彼女には本当の幸せが
あるのです。