子は親の鏡
先日は「父の日」でした。特別講師、横山義孝師をお迎えしました。「神様に喜ばれる父親」と言うテーマでお話していただきました。
4つのポイントでお話くださったのですが、その内容は、教会のホームページ(www.akasakachurch.com)をご覧ください。
ポイントは、①父の影響力 ②父は男性 ③父の使命 ④父の霊性
この中での「父の使命」を取り上げて見ましょう。もちろん、父親ですから家族・家庭の基です。家族の絆の中心は父親です。でも最近は仕事の忙しさから、家族との交わりの時間が取れていません。そうなると中心は子どもといつも一緒にいる母親になります。大切な使命のひとつを放棄しているか、果たせないでいます。
さらに父親の使命は家族を愛することです。愛するとは、甘やかすことではありません。子どもの言いなりになることでもありません。聖さ、正しさに裏打ちされた愛です。
もう一つの使命は家族を導くことです。家族が崩壊しないように、明るく健全な家庭を築いていかねばなりません。さらに子どもをいつまでも自分の下に置いておくのではなく、彼らを自立させ、親元から離していかねばなりません。子どもの将来を導き、支え、励ますのも大切な務めです。
子どもは親の生活を見ています。真似ています。価値観を教わっています。足りないながらも、精一杯の模範を示していきたいものです。
「愚かさは子どもの心につながれている。懲らしめの杖がこれを断ち切る」 箴言22:15 毅然とした父親像がかすんできていませんか。
子どもの登校拒否や引きこもりはなぜ?
子どもの「引きこもり」「登校拒否」が話題になって久しい。学校における教育の視点が右に左にと動いている。優れた才能を伸ばすことに力を入れると、当然落ちこぼれる者が出てくる。その子たちは劣等感の固まりとなり、差別の対象になる。学校に行きたくなくなる。いわゆる「登校拒否児」となる。家の中に引きこもる。
今度は、皆平等という立場に立った教育に傾く。するとどうなるかと言うと皆平均化されてくる。運動の得意な子もそれを伸ばすことが出来ず、嫌いな算数の成績を平均化するように仕向ける。嫌いな科目の成績を上げさせられ、得意な運動を制限される。学校が嫌いになるのは当たり前。かえるに空を飛ぶことを強要し、鷲に鶯の声を期待する。
学校に行けなくなった子どもたちを何とかしようと教会で学校(チャーチ・スクール)を開くようになってきた。普通の学校と同じように週日に登校する。児童にあった時間帯に、児童が取り組みたい科目を学ぶ。次第に生活にハリが出てくる。次第に規則正しいリズムが身についてくる。理科の授業で、ダーウィンの進化論だけではなく、神による創造論を教える。人種や差別をなくすよう聖書的世界観を教える。赤坂教会ではまだチャーチ・スクールはやっていない。
文部科学省や教育委員会が指導する紋切り型の教育では育たない大切なものに心を留めたいと思う。国旗に頭を下げ、国歌を歌わないと日本人ではないという極端な思考がまかり通っている。国の意向に従うロボットを作ろうとしているのだろうか。第二次世界大戦時代のように国粋主義者に育て、天皇のために命を捨てさせようとしているのだろうか。
人として大切な聖、愛、義を神の恵みによるはぐくみの中で育てていきたい。教師の祈りと愛が子どもたちを神の子として見守り、神を畏れること、神に信頼することを教えている。幼・小・中・高・大とずっと聖書に基づいた教育と生活が営まれると幸いだ。神に喜ばれる人となり、神の栄光を現す人生を送って欲しいと願う。
先日ある会合でご婦人が次のような祈りを捧げました。
「今のままの少子化が進むと日本の将来は大変なことになります。日本を支える人口が少なくなり、労働力、生産力が低くなります。世界の経済競争についていけなくなります。それは若い世代の人々が自分たちの生活を楽なものにしたいと考え、将来の日本を考えていないからではないでしょうか。不況の今、子どもを産み、育て、教育していくことを思うと、お金がかかりすぎる、苦労はしたくないと思って、出産をひかえているからでしょう。それに妊娠しても中絶するからです。人工妊娠中絶は殺人行為です。年間、何百万人と言う
殺人が行われています。主よ、若い世代の人々を顧みてください」。
戦時中は兵士を必要として「産めよ、増えよ」と言ったのでしょう。現代は労働力を必要として出産を勧めているのでしょうか。中国の一人っ子政策は、若い世代の家庭を経済的に豊かにしています。でも一人っ子を大切にするあまり、甘えさせ、自己中心でわがままな人にさせています。将来の中国に不安と恐れを感じます。南半球の人口増大は確かに貧困と食糧難をもたらしています。
神のみ旨はどのあたりにあるのでしょうか。
クリスマスに思う事
2011年も終わりに近づいている。今年は3・11以来、大きく変化した。現在もその惨事とそれからの復興のニュースは毎日続けられている。
被災地・被災者・その周辺の人々(友人、親族)に大きな影響を与えただけでなく、経済的にも、政治的にも、仕事の面にも変化をもたらした。まさに想定外の大激動の年になった。「絆」ということばが多く用いられた。被害を受けた人々の絆、周辺の人々との絆、日本人全体にもたらした絆(がんばろう 日本!!)、各家庭・家族の絆。改めて人は絆を必要としている事を学んだ。
絆の根底にあるのは、思いやり、愛。同じ「愛」ということばを用いても、いろいろな種類、形の愛がある。自己中心的な愛もあり、押しつけの愛もある。世俗的などろどろした愛もある。
今月はみなさんもよく知っているクリスマスの月である。クリスマスは救い主イエス・キリストの誕生を指す。「私たちの罪のために、なだめの供え物としてのみ子(イエス)を遣わされました。ここに、愛があるのです」(1ヨハネ4:10)とあるように、クリスマスは神の愛の現れ。創造者であられる神が人間を罪から救うために、裁きを身代わり(十字架)に受けてくださるために、人となって、処女マリヤから生まれてくださった。これがクリスマス。
クリスマスは、神から人類にイエスをプレゼントされた日である。だからクリスマスにはプレゼントをする習慣がある。それがいつの間にかクリスマスの中心がイエスから離れて、プレゼントやデコレーション、パーティになってしまった。貧しい人々にプレゼントを配ったニコラスさんが聖ニコラス(セイント・ニコラス)と呼ばれるようになり、とうとうサンタクロースになってしまった。
子どもが喜ぶ物をプレゼントしたいと親が子をデパートに連れて行った。入口にサンタの衣装を着た人が出迎え、賑やかな音楽とイルミネーションで気分が盛り上がってくる。あちこちと子どもが喜ぶプレゼント見て回っていた。キョロキョロしていた子どもがつぶやいた。「赤ちゃんイエスはどこにいるの?」
イエスが中心のクリスマスのはずが、イエスを抜きにした商売の時になっている。楽しく騒ぐ時になっている。
本当のクリスマスを教会で過ごしてみませんか。